第4回秩父宮記念公園を語る「勢津子妃殿下と会津藩」・・・秩父宮記念公園園長

*このお知らせの掲載日は2011年9月17日です。最新情報をご確認下さい。

「秩父宮記念公園を語る」は、この公園についてつづったものです。第4回は、前園長(H22・23年度)清岡正利が、2011年9・10月号御殿場市公共施設情報誌「GSK news」に連載したものです。

~第4回 勢津子妃殿下と会津藩~

勢津子妃殿下は、旧会津藩松平容保(かたもり)の孫です。幕末から明治の激動の時代に翻弄され、「朝敵」とまで言われた旧会津藩松平家から皇室に嫁がれたのです。

松平容保は、江戸時代京都守護職として京都の治安維持を行っていて、孝明天皇から直筆の手紙(宸翰・しんかん)までいただくほど皇室に対して忠誠で信頼が厚いものでした。しかし、慶應2年36歳の若さで孝明天皇が崩御されると、立場は一転、「朝敵」とされ、あの戊辰戦争で慶應4年9月、鶴ヶ城(会津若松市)での1ヶ月の攻防戦後、白旗を掲げ開城しました。容保は家臣と別れを告げ謹慎の身となり、このときから会津藩は苦難と屈辱の日々が始まったのです。

時は過ぎ、昭和3年、容保の孫、勢津子妃殿下が秩父宮雍仁親王妃として皇室に嫁がれました。このご成婚は、旧会津藩の復権につながり、会津の方はたいへん感激され喜ばれたものでした。「勢津子」妃殿下のお名前は、元々「松平節子(せつこ)」でしたが、秩父宮殿下の母貞明皇后のお名前が「節子(さだこ)」であり同字を避けるため、皇室ゆかりの「伊勢」と「会津」から一文字取って「勢津子」と改称されました。このお名前からも「会津」への思いが伝わってきます。

追記

旧会津藩で現在の福島県会津若松市は、勢津子妃殿下とたいへんゆかりのあるところです。

リニューアルされた鶴ヶ城をはじめ、妃殿下がお泊りになり、命名までされた「重陽閣」のある御薬園など、魅力満載です。3月の地震以降、原発事故の風評被害で観光客が減少しています。原発からは100km離れているため影響は全くないそうです。ぜひ、訪れてみてはいかがですか?   こちらをクリック⇒会津若松の観光PRホームページ

秩父宮記念公園