第2回秩父宮記念公園を語る『秩父宮様と御殿場』・・・秩父宮記念公園園長

*このお知らせの掲載日は2011年3月25日です。最新情報をご確認下さい。

「秩父宮記念公園を語る」は、この公園についてつづったものです。第2回は、前園長(H22・23年度)清岡正利が、2011年1・2月号御殿場市公共施設情報誌「GSK news」に連載したものです。

「秩父宮様と御殿場」

 

秩父宮記念公園は、昭和天皇の弟秩父宮雍仁親王殿下と勢津子妃殿下が昭和16年から約10年間実際にお住いになっていた場所です。なぜ、御殿場でお暮らしになったのでしょう?

 

御殿場とのつながりは、妃殿下の少女時代に遡ります。女子学習院初等科時代に生涯の友となる白洲正子さん(旧姓:樺山)と出会い、例年夏に樺山家の別荘があった御殿場で2週間ほど正子さんと過していました。(樺山家の別荘は、現在の御殿場市立西中学校にあり、西中の校庭には「樺山の池」と名付けられた池があります。)妃殿下は、小さいころから御殿場の風土を肌で感じていました。

 

昭和3年9月28日、殿下(当時26歳)と妃殿下(当時19歳)は結婚され、昭和14年結核予防会が設立、勢津子妃殿下が総裁になられました。しかし何の因果かその翌年、殿下は結核に感染されてしまいました。医師団は、「一般全身療法」という、きれいな大気の場所で安静し、栄養をとって体力をつける治療法を選択され、昭和16年、当時神奈川県の葉山でご療養されていましたが、海辺より湿気の少ない山間部がよいということで、勢津子妃殿下が幼少より親しんだ、御殿場をその地に選ばれました。皆さんもご存じのとおりこの御殿場は、湿気は少ないわけではないのですが、空気が澄み、冬は寒いが夏は涼しいこと、また東京から日帰りできることなどが理由でした。当初は、間取りも知っていて、広い庭、南向きでもある、樺山家が手放す予定だった思い出の別荘をご静養の地に考えられたようですが、屋外にでないと富士山は見えないため、井上準之助氏が所有していた現在の記念館となっているこの場所を選ばれました。病床からでも1日中富士山を眺められる所でご療養していただきたいという妃殿下の強い思いもありました。その部屋が現在の「西の間」です。それから約10年間、この御殿場でお暮らしになっていました。その間、殿下は体調も良くなり、畑仕事や近隣住民との交流も楽しまれていました。

 

現在、ここで働いているスタッフの中には御殿場市立西中学校卒業生もいます。年代は違いますが、樺山家の大きな別荘があったことは知っていました。私も西中の卒業生です・・・

 

秩父宮記念公園